【野球美】野球人生はケガとの闘い…。ガラスの天才たち

2018/04/05
南城与右衛門

イチロー選手の成績が素晴らしいのは言うまでもないですが、なんと言っても故障が少ないことが名選手たるゆえん。実働26年でケガらしいケガは1度だけという強靭ぷり。とはいえイチロー選手のようなケガに強い選手は稀で、ほとんどの選手はケガと闘っていて、騙し騙し選手生活を全うするのがほとんど。

中には天才と謳われましたが、志半ばでユニホームを脱いだプレーヤーもたくさんいます。ケガが無かったらどんな成績を収めていたのか? こういった想像をかきたてるのも野球のロマン。そこで今回は、ケガと戦ったガラスの天才を紹介します。

ガラスの天才[投手編]

元ヤクルト 伊藤智仁投手 通算127登板37勝27敗25セーブ 防御率2.31

92年、ドラフト1位で入団した日本の近代野球で最高の投手と称えられる投手。野村克也氏はレジェンド投手を引き合いに出し「稲尾和久を超える天才」と絶賛しました。

150キロを超えるストレートと高速スライダーを武器にデビューから三振の山を築き、先発投手としてフル回転。前半戦2か月半だけで7勝2敗、防御率0.91という驚異的な成績をマークしますが、酷使がたたり右ひじを痛め戦線離脱。以後、リハビリ、復帰、再度の負傷を繰り返し、ついにルーキーイヤーの輝きを取り戻せぬまま03年に引退しました。

元ソフトバンク 斉藤和巳投手 通算150登板79勝23敗 防御率3.33

192センチの長身から投げる力強いストレートと打者を翻弄するフォークボールを武器に球界のエースと謳われた投手。しかし活躍するまでは故障との闘いでした。95年入団翌年には肩の手術。リハビリをこなしながら鋭気を養い03年に最多勝などを獲得し投手賞の最高権威・沢村賞も受賞。

この年から4年間で64勝16敗、勝率は脅威の8割。負けないエースとして君臨しました。その一方で肩痛との闘いもあり野球人生で3度の手術、長いリハビリ生活も経験。そして08年から一度も登板することなく12年に引退しました。斉藤投手のピッチングは現役やレジェンドからの評価が高く、めったに褒めない落合博満氏も球界でもっとも優秀な投手と称賛を送っていました。

ケガをしやすい選手とは?

レジェンド投手の中には先発連投、完投当たり前、年間300イニング投球という選手がけっこういます。現在の先発、中継ぎ、抑えの分業とは違い、かつては分業無視でエースがどの局面でも登板するというのが当たり前でした。いまは投球数や登板間隔が決められ手厚いケアを受けていてもケガをする選手は続出。

一方、レジェンドは酷使でも投げぬく、新旧の投手に肉体的な差があるのでしょうか? 実はこれといった理由は見つかっていないそうです。つまり非科学的な根性や頑強な個体差に依るところが大きいというのが定説。頑丈な選手が長い野球生活で成績を残し、身体の弱い選手はおのずとユニホームを脱ぐのが早い。その差が記録や記憶に出ているということのようです。

ガラスの天才[野手編]

元広島 前田智徳選手 通算2119安打295本塁打 打率.302

89年、ドラフト4位で入団。打撃について努力や理想がストイックすぎることから侍と称された選手。ヒットを打っても思い描いた打球でなければベース上で首をかしげる姿は有名でした。

そんな前田選手は将来、首位打者のタイトルも獲れると期待されましたが、95年、プレー中に右足のアキレス腱を断裂。以降、この不安に悩まされることに。打撃の不調時には「もう片方の足のアキレス腱も切れれればバランスとれるのに」と語るほど理想の打撃を追求しました。

元阪神 濱中治選手 通算580安打85本塁打 打率.268

96年に入団し、和製大砲として期待された濱中選手。03年は開幕から4番に起用され本塁打、打点を量産し、期待通りの大砲へと花開こうとした瞬間、守備で返球の際、右肩を脱臼し戦線離脱。手術を受け、リハビリも行いますが、急ぎ過ぎたことがたたり右腕が炎症をおこし再手術。

二度の手術の影響で遠投がきかなくなり外野手として起用法が難しくなりました。その後、守備機会が少ないHDのあるパ・リーグのオリックスに移籍しますが、かつての輝きは取り戻せず。ボールを遠くへ飛ばす類まれなる才を持っていながら、けがに泣かされシーズンを通して活躍できたのはわずかな期間でした。

 

上記の他にも横浜やソフトバンクで活躍した多村仁志選手や現巨人の高橋由伸監督なども天才と謳われる一方で、積極的なプレーが災いしケガの多い選手でした。では選手たちはどのように考えているのか? 多くは手を抜いたり、ケガで戦線を離脱しチームに迷惑をかけることを嫌いプレーを続行。選手生命が短くなったことに後悔はないようなコメントをしています。

上記で紹介した伊藤智仁投手の酷使についても野村監督は後悔と謝罪を口にしていますが伊藤投手は「ケガは自分のせい。マウンドを降りる方が嫌だった」といい、野村監督に謝って欲しくないと語っています。後日、こういったドラマが生まれるのも野球のロマンではないでしょうか。

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"情報番組や誰も知らない深夜番組、ラジオなどを構成したり、ソーシャルゲームのシナリオを書いたりする、いわゆる駄放送作家。友達はPC、恋人は二次元、恩師はあらゆる漫画、といった充実した人生継続中"

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