4年に一度のオリンピックが開幕。1896年の第1回アテネ大会から120年31大会。
長い歴史の中で生まれた雑学はたくさんあり、知っておくと何倍も今大会を楽しく見られるものも。だからといってその知識を他人にひけらかせばウザいです。嫌われます、煙たがられます、友達を失います。
そこで、今回は知って得はしますが、誰にも話さない方がいい五輪マメを紹介します。
最高齢金メダリストは64歳、最年少は7~10歳!?
最高齢はスウェーデンのオスカー・スバーン。1912年ストックホルム大会で謎の射撃競技、鹿追いシングルショット団体で金を獲得。このとき64歳。このおじいちゃん、2大会後のアントワープ大会にも鹿追いダブルショット団体に出場し、72歳で銀を獲得。最高齢メダリストでもあります。
一方、最年少は7~10歳の少年。なぜ曖昧かというと、これが起きたのは1900年パリ大会。ボートのペア競技でオランダ選手の舵手が出場できなくなり、その代役を観客として来ていた少年に頼んだそう。そしてそのペアは優勝。しかし少年は名前も告げず消えたので、いまだ誰かも分からず、このような記録になっているんだとか。
この少年を除き、正式記録なのは、1936年ベルリン大会、女子3m飛板飛込に出場したマージョリー・ゲストリングで13歳です。
吉田沙保里に黄信号? 嫌なジンクスとは?
レスリング女子で4大会連続金メダルに期待のかかる吉田沙保里。今回も吉田無双を見たいところですが、ちょっと嫌なジンクスが。今回、選手団主将となった吉田ですが、実は過去5大会の夏季大会で主将になった選手はメダルに届かないという成績。
例えば04年アテネでは柔道・井上、08年北京では柔道・鈴木が同じく敗者復活戦敗退。12年ロンドンではやり投げ村上が予選敗退と活躍が期待されていたにもかかわらず絶不調。
しかしそこは霊長類最強女子、ジンクスや呪いなど、いとも簡単に吹き飛ばしてもらいたいものです。
かつては芸術競技もあった
1912年ストックホルム大会から48年のロンドン大会まで、絵画、彫刻、文学、建築、音楽が競技化されていました。
36年ベルリン大会では、絵画などで日本人2人が銅メダルを獲得。しかし、採点基準が難しいということで、廃止されました。
また、かつては綱引き、凧揚げ、魚釣り、伝書鳩などの珍競技もありました。
男子マラソンの最遅記録は54年!?
男子マラソンの五輪最速記録は2008年北京大会でケニアのワンジルが記録した2時間6分32秒。一方で最遅記録は1912年ストックホルム大会に端を発します。日本人の金栗四三は五輪に参加するため20日かけて現地へ。睡眠や食事面での不遇、そしてレース当日、猛暑にもかかわらず、迎えの車が来ず競技場まで走らなければいけないトラブルに見舞われます。そしてレースが始まると、道半ば日射病で意識を失い、気付いたのは翌日、介抱してくれていた農家のお宅だったそう。
そして数十年が過ぎ1967年、ストックホルム五輪開催55年記念式典が行われ、金栗が現地に招待されます。彼が競技場を走りゴールテープを切ると「ゴールタイムは54年8か月6日5時間32分20秒」とアナウンスされ記録となりました。
その他、胸にそっとしまいたい『ひと口五輪マメ』
・1896年、第一回アテネ大会では財政難により1位は銀メダル、2位は銅メダル3位は賞状だった
・聖火リレーは1936年のヒトラー政権のベルリン大会から。このルートは、後に第二次世界大戦の侵攻ルートの参考にしたとも。
・1920年アントワープ大会で1500m銀メダリスト、英のベーカー。平和軍縮運動にも励み後にノーベル平和賞も受賞。五輪メダルとノーベル賞を獲得したのは彼ただ一人。
・1932年ロサンゼルス大会。ラジオ中継に初挑戦するはずだったが、放映権料の交渉がまとまらず実況中継を断念。その代わりに現地に派遣されたアナが競技の様子を原稿にしスタジオで、さも実況しているかのような「実感放送」を展開した。
・1940年に東京大会が行われるはずだったが日中戦争の影響で開催権返上。
さて、五輪雑学を色々並べましたが、知ってしまえば誰かに話したくなるのが常。しかし、その知識を相手が知っていたらどうでしょう?
ケンカの種であり、いさかいが起こり、絶交になる場合も。なので今回知ったマメはポケットにしまい、知らぬ顔で代表を応援しましょう。ガンバレ日本!!