現在、放送中の大河ドラマ【真田丸】。真田家に仕え裏に表に活躍する(猿飛)佐助といえば、様々な作品に登場する人気の忍び。真田十勇士にも列し広く名が知れ渡っていますが、実は架空の人物なのはご存知でしょうか。
そこで今回は、有名ですがその実、架空の歴史上の人物を紹介していきます。まずはその佐助について…。
真田十勇士筆頭・猿飛佐助
甲賀流の忍術の使い手・佐助。幸村(本名:信繁)の親衛隊『真田十勇士』の筆頭。徳川・豊臣の最後の決戦・大阪の陣で、豊臣勢に与した幸村とともに死力を尽くし家康をあと一歩のところまで追い込むものの、茶臼山に散った人物です。
その活躍や忠誠心が古くから共感を呼び、多くの物語で描かれたり、現代でも様々なゲームに登場し知名度を広げました。
しかし佐助は架空の人物と言われています。幸村が没した遥かあと江戸中期に生まれた軍記物で初めて真田十勇士という言葉が使われ、佐助の登場は、さらに時が進み明治に生まれた創作講談から。猿飛の命名は、西遊記の孫悟空にあやかったといいます。
なお、真田信繁は、別名の『幸村』が有名ですが、これも後の創作物で名付けられたもので自ら名乗ったことはないそうです。
三国志で活躍 関羽の右腕・周倉
小説やゲームに登場する蜀の武将・周倉。当初、山賊をしていましたが関羽の勇姿を見てほれ込み、その配下に。以降、関羽の側近として活躍しますが、呉によって関羽が討たれると、周倉は城壁から身を投げ殉じ忠臣として語り継がれました。
しかし、三国時代について書かれた正史【三国志】には周倉の名前は無く、後に書かれた創作物【三国志演義】などから名前が登場するため架空の人物とされています。
ところが、実在の人物と信じている人も多いためか中国では周倉のお墓があったり、関羽の従者として祭られていたり信仰の対象にも。
ちなみに現在、ゲームなどに登場する三国志の人物には架空の者が多く、董卓と呂布が仲たがいするきっかけとなった貂蝉や関羽の子供の関索は後の創作で生まれた人物です。
弁慶、いるにはいたが…
平安時代、源義経に仕えた僧兵の弁慶。京都で千本の太刀を奪う悲願を立てた弁慶が、最後の一本を義経から奪おうと試みますが返り討ちにあいます。
これをきっかけに弁慶は義経の忠実な家来となり以後、知謀と怪力で義経を助けます。衣川の合戦で義経を守るため無数の矢を受け、立ったまま討ち死にしたのはあまりにも有名です。この様は『立ち往生』の語源にもなりました。
しかし、当時を記す書物にその名があるのはわずかで、実在したとは考えられているものの詳しくはほとんどが不明。弁慶の伝説も後の創作で歌舞伎や浄瑠璃などによって伝わりました。
架空または、その豪快な業績が架空(かも?)という歴史上の人物を紹介しましたがいかがだったでしょうか。「なんだよ、実在しなかったのかよ…」とがっかりせずに、伝説・伝承に思いを馳せるのもロマンのひとつではないでしょうか?