全員が立ちすくんだ。
突然≪バン!≫と乾いた音がして、民子の胸が赤く染まった。
民子は胸に手をやり、音のした方向に視線を向けながら崩れるように床に倒れた。
林田民子は一命をとり止め、太田節三とともに収監された。日本人ではあったが、林田民子はサザンパシフィック鉄道の役員であったこともあり、アメリカ独立戦争当時の功労者であるバニング家とのつながり、世界平和基金財団の代表理事でもあることから、強制収容所送りを免れOSS(米国戦略事務局)の研究員として終戦後の処理方法の研究に携わった。
――――― 以上。
日本の大和撫子スゴイ!と賞賛したくなるエピソードですね。
実は、この出来事を紹介するどんなブログを見ても文章がほぼ同じでした。だからこれは転写です。
そもそもこれは1995年に出版された前田秀峯著【夢のなかに生きた男たち】の中で書かれたワンシーンを抜粋して紹介されたようです(※絶版で手に入らず読めませんでした)
この本は、“反日運動の嵐が吹き荒れる米国に渡った柔道家・太田節三を中心に、壮大なロマンに生きた日本人たちの感動の生涯を描く、ノンフィクション・ノベル。日米戦争、人種差別の苦しみを共にした男たちの話” 等と紹介されています。
つまり、林田民子は主役ではなく脇役で、紹介した話も1エピソードとして描かれているに過ぎないと思われます。
更に、この本についての寸評などを調べてみたら“ノンフィクション・ノベルとありながらも、けっこう脚色されて書かれているようだ”。“著者も伝え聞きだったようです”とのことらしいです。
ってことで、何が言いたいか?
林田民子という女性がトルーマン大統領を一本背負いで投げ飛ばしたという話はフィクションではないか?
決して「ウソかよ!」と毒吐きたいのではないので、気を悪くされる方がいたら先に謝罪しておきます。でも逆に「絶対に事実か?」と問われたら、100%間違いないと言い切ることも出来ないと思います。
疑う要素は幾つかあります。
パーティーに出席できた!?
太田節三は柔道家であり有名な資産家で、林田民子はその秘書だったと言われています。パーティーは終戦した1945年9月2日戦艦ミズーリ降伏文書調印式に行われましたが、政治家でもないのにホワイトハウスに招かれるか?しかも女性まで引き連れて…と思うと根本的に出席できたかどうかすら違和感が。
20万人という数字が出てくるものか!?
トルーマンが「若いアメリカ人20万人を守るため」と言ったそうだが、終戦して数ヶ月でそんな具体的な数字が出てくるものだろうか?林田の「日本人20万人以上」という数字もしかり。
大統領を投げ飛ばした記録は!?
時の大統領と陸軍長官を公の場で投げ飛ばした。しかも日本の小さな女性が。…という前代未聞の出来事がもし事実なら、もっと昔から伝え広がっているだろうし、またアメリカにも記録としても残っているだろう。でもそんな逸話を聞かないのはいくらなんでもおかしい。
正直、事実関係はわからないのでこの疑いの憶測はとても失礼なのかもしれません。
もし林田民子がトルーマンと接触した事実があったとして、「どうして原爆なんてものを落としたのですか?」くらいの会話を交わしても不思議ではないと思います。だとしたら話を盛りに盛ったのでしょう。
林田民子の出来事が作り話だったとして、当時の日本人がアメリカに訴えたかった言葉はソレだった。そしてその訴えは戦後70年経った今でも変わらないのか。大統領からどんな言葉が飛び出すか気になります。