芸能人に本気で恋する「リアコ」って?経験者は語る線引きの大切さ

2017/10/18
内藤 みか

最近リアコという言葉を目にする。意味は「リアルに恋する」ということだけではない。若手俳優などの芸能人に本気で恋してしまう女性を指すことが多い。私も遠い昔に経験したことがあるけれど、リアコはかなり苦しいものである。

 

好きなものは好き

 

私自身、女子高生の頃に、間違いなくリアコだった。とある男性アイドルに恋をしていたのだ。きっかけはステージの上の彼と何度も目が合ったこと。田舎の女子高生なので、恥ずかしながら目があっただけで運命を感じてしまったのである。

 

もちろん当のアイドル本人は私の存在など知らない。大勢のうちのひとりとたまたま目が合っても、きっとすぐに忘れられてしまったことだろう。好きな人ができたら近づいて行って話しかけたり、電話をしたりしたいものだ。けれど、彼はアイドルなのだから、何もできない。ただステージの上の彼をすがるような目で見つめるしかできなかった。

 

会えるアイドル

 

話しかけることすらできないのだから、お近づきになりようがない。自分はファンで相手はタレント。その一線を超えることはまず無理だ。当時の私は1年くらいでその苦しみに耐えかねて普通のファンへと戻った。どんなに好きでも彼と個人的にコミュニケーションが取れない他人なのだと痛感してしまったからだ。

 

けれど最近はどうだろう。会いに行けるアイドルなどという謳い文句が流行り、タレントと握手したり、直接会話ができることが増えた。地下アイドル系だと一緒にチェキ撮影までできる。まだあまりファンが付いていない新人さんだと、少し長めの時間お話しできるかもしれない。もし私が今の時代にリアコだったら幸せな反面つらさも大きかったことだろう。

 

お礼を言われると…

 

タレントと直接話せば、顔も覚えてもらえるかもしれない。「プレゼント使ってくれた?」と聞けば「うん。あれ可愛いね」と喜ばれたら、またあげたいなと思うし、ライブで「いつも来てくれて嬉しいよ」と言われたらまた行きたいなと思うだろう。私の頃よりずっと応援しがいはあるけれど、現実と夢の境目が見えにくくなっていることが気にかかる。

 

リアコが一番つらいのは、公演の後ではないだろうか。何日か続いた公演なら、なおさらである。公演の間はコミュニケーションが取れ、お互いに親しくなってきてもしかしたらいい感じかもなどと盛り上がっても、終演した途端にその幸せは断ち切られてしまう。

 

祭りの後の悶々

 

公演が終われば次の公演まで会えない。その時に初めて、彼の連絡先さえも知らないという現実に直面してしまう。そしてあの甘い時間は、自分が入場料を支払ったからこそ味わえたものだったのだという気づきたくないことに気づかざるをえない。ホストとそこは似ていて、タレントも、対価を支払わなければ会うことができない存在なのだから。

 

チケット購入やプレゼントなどで彼に「貢献」はできても「交際」できるわけではない。この現実を受け入れ、割り切って精一杯楽しむこともまたひとつの方法だ。雑誌『AERA』にはキャンピングカーをレンタルして男性アイドルを追っかけする女性の記事が出ていた。同じタレントを応援する仲間たちと寝る間を惜しんで語り合う。そんな横のつながりも楽しめるようになれば、リアコの苦しみは少し薄れるかもしれない。

 

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内藤 みか
この記事を書いた人

内藤 みか

作家/脚本家/イケメン評論家。著書80冊以上。ケータイ小説時代から電子書籍の自著も多数。脚本担当のラジオドラマ『婚活バスは、ふるさとへ』(YBS)が文化庁芸術祭優秀賞&日本民間放送連盟賞優秀賞。 ツイッター https://twitter.com/micanaitoh ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/micanaitoh/

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