「千年続くように…」スケーター阿部直央の考える東日本大震災“Don’t Forget Party”

2018/03/27
放送作家 小嶋勝美

東日本大震災から7年、その悲劇を忘れぬ為に毎年チャリティーイベントを開催するプロスケーターがいるのを知っているだろうか?その人の名は阿部直央。彼が毎年行う“Don’t Forget Party”は今年で7回目を数える。

彼はなぜ毎年このイベントを続けるのか?どんな思いでこのイベントを開催しているのか?そんなプロスケーター“阿部直央”の普段は絶対に見せない“3.11”に寄せる想いに迫るべくインタビューを行った。

※プロスケーター・阿部直央

先人が伝えようとした事から始まった

——東日本大震災の時はどこにいましたか?

「2011年の3月11日、その日僕は宮城県仙台市にいたんですよ、そして地震を体験し被災しました。携帯も動かず、情報も全く入ってこない中、僕は実家が塩釜市なので津波がすごく心配でした。次の日に親とは連絡が取れたんですが、そのまま一週間路頭に迷いながら実家まで帰れないという経験をしました。

僕は運良く、その2週間後に関東の友達に迎えに来てもらえて帰ることが出来たんですが、周りの友達は津波の被害を受けた人が結構いました。そういった経験を経て、震災の翌年2012年3月11日からこういった活動(Don’t Forget Party)を始めようと思いました」

※2017年3月11日に行われた第6回“Don’t Forget Party”

——Don’t Forget Partyは毎年行っているんですか?

「震災の翌年から毎年行っていて、今年で7回目になりました。東日本大震災は千年に一度の地震と言われていて、千年前も地震で大きな津波が来たみたいなんだけど、その時に「ここまで来たよ」っていう意味で当時の人はお地蔵さんを立てていたらしいんですよ。

だけど時代が変わるにつれて、そのお地蔵さんの意味が伝わらなくなってしまって、海が好きな人達などが海辺沿いまで家を建ててマリンスポーツをしたりとか、海水浴したいとかといった理由でどんどん家や建物を建てていった結果、今回のような惨事になってしまったと思うんです。

昔の人が伝えようとしていた事を忘れないようにしようよという思いを、世代をまたいでどんどん繋いで話していけるようなパーティをやっていきたいなと思い、僕がスケートボードを職業にしているという事もあって、スケートボードを使って伝達していけたら。そういう思いから始めました。だから名前はDon’t Forget Party」

※イベントでは14時46分、犠牲者へ黙とうを捧げた

——昔の人はこうなる事を警告していたと?

「多分ね。俺も聞いた話だから本当かどうかわからないけど、でもそういう位置(津波が来る恐れがある)にお地蔵さんは元々あったようで、要は大きい地震が千年に一度あるのがわかっていたら、津波が来ると知りながらその場所に、のほほんと住んではいないわけじゃないですか。でも、結果的にそこにいたからたくさんの人が死んでしまった。

だから昔の人が伝えようとしたことを忘れない為のDon’t Forget みたいな。今年7年目でまだまだ千年までには遠いけど、俺がやっている事を誰かに知ってもらって、この先俺がいなくなってもその誰かが引き継いでやってくれればと思う。時代が変わり、毎年が難しければ5年に一回、いや10年に1回でも誰かがDon’t Forget Partyをやってくれればと思っています」

※プロスケーターとしてコンテストにも参加

——千年続くようにと?

「まぁ千年に一回津波が来るなら、ぶっちゃけ千年続けないと意味ないよね。それが世代をまたいで子供に伝わって、その子供が自分の子供にこういうことがあったんだよって伝えてくれれば一番いいんですけどね。まずはそこのきっかけですね」

関東で開催する理由

——なぜ今回はSKiP FACTORYでの開催になったのですか?

※SKiP FACTORY

「もちろん東北開催に向けていろんな手は打っていて、最初は福島県にあるスケートパークPOSTに打診したんですが、アウトサイドで雪が残る可能性があるのとオーナーがその期間、北海道にスノーボードの仕事で不在になるのでダメだったんですよ。

そこで同じ福島県にあるチャンネルスクエアっていうスケートパークにチャリティー目的でこちらが全額出して動きますと打診したんですがちょっと難しいかもなぁってなって、あぁダメだったかと思っていたんです。そこで、以前から東北開催だと(距離的に)行きづらいと言う人がいっぱいいたんですよ。

なら関東でもう一回やってみようと思って(過去に一度川口スケートパークで開催)。東北在住でこのイベントにゆかりのある人たちには交通費を渡して来てもらい、関東で交流会をすることによって、新たな輪も広がるんじゃないかと思い、関東でも有数の広さの屋内パークであるSKiP FACTORYにしました」

※この日特設ブースを出したSUPRAの売り上げは全て募金へとまわった

——Don’t Forget Partyでは募金以外の目的はありますか?

「初めの頃から集まってくれた(プロスケーターの)面子は今でも集まってくれていて、自分はこの面子をすごく大事にしている。このイベントはボランティアなのでお金を払うことが出来ないんだけど、みんな自分からこのイベントに来てくれるし、このイベントをやる意味を理解してくれているので、彼らプロスケーターを通して多くの人たちにこのイベントの趣旨が伝達していくことが出来たら…というのが俺の一番の目的かな」

※プロスケーター川淵裕聡との一コマ

新たな輪が生まれる場所として

——7年続けて得られたものは?

「イベンターとしてのスキルはもちろんなのですが、とにかくこのイベントを通して輪が広がりました。今までスケーター同士だけの付き合いだったのが、一般の人達だったりチャリティーに興味を持った企業の社長さんだったりとか。今までに接する機会のなかった人たちとも繋がりが出来たと思います」

——Don’t Forget Partyのこれからの夢は

「7年続けている中で思う事が、スケートボードをやる人は増えつつあるのですが、内側でこういった企画をしたりする人がなかなかいないので、いろんな人の輪を繋げる人がどんどん出て来れる場にしたい。

例えば、Don’t Forget Partyをどっかのフェスに入れ込んでもっと大きく出来たらもっといろんな事をやれると思うんです。といった具合に連鎖反応を起こす力が欲しい。“この震災を忘れるな”っていう思いを常に続けていける環境を作れたらそれがベストです」

——最後にみんなにメッセージを

「Don’t Forget!」

現代のお地蔵さん

※Don’t Forget Party集合写真

スケートボードが誕生して60年以上が経つが、千年後の人類は果たしてスケートボードに乗っているのだろうか?さすがに千年先の事まではわからないが3.11に特別な思いを持ち行動するスケーターがいるという事をもっと多くの人に知ってほしいと思う。“Don’t Forget” と高らかに伝え活動する阿部直央さんは現代のお地蔵さんだと思う。

そしてそれはプロスケーターでなくても誰だって出来るはず。この記事も、そんなお地蔵さんの役割の一部になれたらと願っている。決して他人事だと思わないで考えてほしい。これを読んだあなたもいつだって簡単にお地蔵さんの役割を担えるのだから。

 

写真・文 小嶋 勝美

スケートボードを趣味としており、ライターとしてスケートボード関連の記事を執筆。

約10年間芸人として活動後、現在は放送作家としても活動中。

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放送作家 小嶋勝美
この記事を書いた人

放送作家 小嶋勝美

お笑い芸人として活動後、放送作家に転身。 スポーツ番組やバラエティ番組などに携わる傍ら、20年以上続けている大好きなスケートボードのライターとしても活動。 コンテスト記事の他、スケボーの情報や面白い発見を伝えていくと共に、スケートボードが持つ素晴らしさを多くの人に広めていきたいと思っています

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