全日本男子の監督に、なぜ外国人を起用しないのか?実は、2008年北京五輪後、数人の外国人監督を候補に挙げ数人にオファーを出していたそうだ。それがうまくいかなかった。だがその後、一度だけ外国人監督起用に踏み切っている。歴代の全日本男子監督は19人、その中に一人だけ、2013年初の外国人監督としてゲーリー・サトウ(=当時58 日系米国人)が就任した。
しかし、1年も経たないで解任されてしまう。
これに関して、様々な記事を集めて考察した。まず、経緯はこうだ。協会は2012年10月までに後任監督の候補を国内外問わず公募した。応募者数は約20名で、半分ほどは外国人だったという。革新派はいるのだ。選考は揉めに揉め、翌2013年までもつれた結果、賛成多数でサトウ氏に決まった。サトウ氏は監督経験はないが米国五輪代表などでコーチ歴が長く、選手育成のシステム作りには定評があった。
サトウは改革に入った。最初に見直したのはレシーブ。レシーブから相手の攻撃パターンを予測し、全員で守備のイメージを共有、そこから攻撃に転じることに着手した。サトウは、日本は国際レベルの基本技術が欠けていると感じ、高校生レベルの練習からはじめたとか。
ところがこれに選手が反発、「代表選手に基礎からバレーやり直せというのか」。
当時のバレーは高速化が進んでいた。おそらく、身長やフィジカル面で欧米に劣る日本人が最初にすべきは“守備”と睨んだのではなかろうか。実際、海外のある代表監督は「日本は小さい選手が多く、レシーブの精度を上げて拾って繋げることが大事だと思うができていない」と話している。
更に、サトウは「スマートバレー」という世界のスタンダードに着手した。アタッカーはトスに合わせて跳びスパイクを打つのではなく、全スパイカーは助走をしっかり取り、テンポの速さでセッターがアタッカーに合わせる攻撃動作…といったバレー。これをマスターしないと敵を知ることも出来ない。
つまり、あらゆる守備面、攻撃面で、日本のバレー技術は遅れ劣っていて、スタイルも古かったのだ。情報はあったのかもしれない、でも教える指導者がいなかったという可能性もある。サトウは救世主だったかもしれない。
しかし、結果はそう簡単に出るものではない。ワールドリーグは参加18カ国中最下位。世界選手権アジア予選敗退。グランドチャンピオンズカップは5戦全敗の最下位。散々な結果だった。ただこれはサトウが監督に就任して半年ほどしか経たない時点での成績である。
最初は反発が多かった選手だったが、越川優選手は「僕らは今、バレーを始めたばかりの中学1年と同じ。いや、中1なら白紙で吸収できるけど、僕らは20年間やってきたバレーを捨て新しいことに取り組まなければならない。本当にそれでいいのか、その葛藤は今でもあるが、やらなければならない」そしてこう続けた。
「今は結果にこだわる時期ではないと思う。選手だから結果は欲しいけど、それよりゲーリーの方針がブレるのがよくない」サトウの方針に何かしらの手応えがなければ出てこない発言だと思う。
続けていけば男子バレーは変われるかもしれない!
その矢先、成績不振を理由にサトウはあっさりと解任されてしまう。たった半年で、である。コミュニケーション不足とか日本のバレーに合わない、などという声も聞かれた。サトウが全て悪いように責任を押し付けられた感じだ。
サトウがバレーの基本から始めから伝えようとしているのだから、備わるには時間がかかることくらい周囲は分かるだろう、それをフォローする人間はいなかったのだろうか?実は、初めての外国人監督起用だったからか、通訳はバレーに精通した人ではなく、また様々なサポート体制も整わないなど、ノウハウを知らない協会の不行でバックアップがなされてなかったらしい。
人を招いておいて“お手並み拝見”というひどい扱い感が否めない。協会のこういうドタバタ劇に振り回されて可哀想なのは選手やファンである。
憶測だが、サトウ氏はリオよりも東京五輪でのメダルを目指していたのではないだろうか?
それほど長いスパンで鍛えなければ強いチームは作れないと思っていたはず。それを証拠に、サトウ氏はアマチュアのバレーや、中学生などの子どものバレーも見て指導もしていたそうだ。きっと日本のバレーの底上げまで視野に入れていたに違いない。
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