それでも澄子は、いつか騎手としてレースに出られると信じながら厩務員として働きます。
しかしその夢は叶いませんでした。騎手免許取得から6年後、29歳の若さで肺血腫にかかり病死してしまうのです。
周囲は、無理に吸った煙草と胸を締め付けたサラシが原因かもしれないと嘆きました。そして澄子の師である調教師は「早く他の馬に乗せ、一度でも晴れ舞台を踏ませてあげればよかった」と涙を流して悔やみました。
史上初の女性騎手はレースに出場する夢を見ながら、やりきれない気持ちを残して天国へと旅立ったのでした。
時代は移り変わり…
1960年代後半から世界でウーマンリブ運動が活発化。男女差別を無くす動きは競馬会にも届きます。
1969年(昭和44年)、地方競馬の岩手・水沢競馬場で、平地レースに出場できる女性騎手として初となる高橋優子騎手がデビュー。
JRAでは1996年(平成8年)に3人の女性騎手がデビューします。日本ではこれまでに約70名の騎手が誕生し、現在、地方競馬を含め現役6名の女性騎手が活躍中です。
時代は変わりました。
幻の第1号女性騎手、斎藤澄子さんは天国からきっと後輩女性騎手達の背中を押しているに違いありません。