日本中が震撼。清原逮捕にみる野球選手の厳しいセカンドキャリア

2016/02/16
南城与右衛門

プロ野球界のみならず、日本中に衝撃が走った元巨人の清原和博逮捕。

スーパースターの名をほしいままにした天才バッターは、引退後もタレントとして活躍。

順風満帆な人生と思われました。

 

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ナンバー(Sports Graphic Number) 720号
 文藝春秋

 

選手引退後、彼のように道を踏み外してしまう選手もなかにはいますが、多くは真っ当なセカンドキャリアに就き、そのほとんどが、野球とは別の世界の道を選んでいます。

 

そこで今回は、かつてスタジアムをわかせた選手が、どんなセカンドキャリアを選択したのか紹介します。

 

元横浜の古木克明選手

【格闘家を経て、震災の復興支援活動事業】

ドラフト1位で横浜に入団した古木さん。若手ながら4番を務めチームを引っ張るスラッガー。しかし守備に難があり、次第に出場機会が減り実働10年で引退。その後、格闘家に転向しました。

 

ボビー・オロゴンさんに敗戦するなど、パッとしない成績でこちらもすぐに引退。ハワイの独立リーグで再び1年だけ野球に復帰。現在は、東日本大震災をきっかけに、スポーツを通した復興支援活動事業プロジェクトの代表を務めています。

 

元楽天のクローザー福盛和男投手

【メジャーにも渡るも、携帯電話会社の取締役】

5球団を渡り歩き、メジャーのレンジャーズにも入団した名セットアッパー・クローザーの福盛さん。ひじの不調などを理由に引退を決意。その後、携帯電話販売・修理会社を経営する叔父から後継ぎとして打診され、いきなり取締役に就任。周囲の懐疑的な目を払拭するため、懸命に仕事に打ち込んでいるそうです。

 

元中日のセットアッパー・宮下昌己投手

【クロマティにぶん殴られた“お米屋”さんに】

野球の活躍もさることながら、元巨人のクロマティにデッドボールをぶつけ乱闘騒ぎ。マウンド上でぶん殴られた投手として有名な宮下さん。引退後はステーキ店を順調に経営していたそうですが、立ち退きを余儀なくされ閉店。サラリーマンを経て、実家の米店の二代目として切り盛りしているそう。

 

巨人~西武でプロ生活9年の三浦貴選手

【社会科の先生になって、母校に恩返し】

埼玉の名門・浦和学院高から東洋大を経て巨人にドラフト3 位で入団した三浦さん。中継ぎ投手として活躍しますが、後に野手に転向。2009年に引退すると母校の野球指導者になるためトラック運転手をしながら大学に通い教員免許を取得。浦和学院高の社会科教諭となり、野球部のコーチを務めています。

 

その他、選手達の第二の人生

・巨人ドラフト1位入団

河原純一投手

【広告代理店】

 

・02年のリーグ優勝に貢献

元巨人・條辺剛投手

【実業家として讃岐うどん店を経営】

 

・選手としては鳴かず飛ばず……

元巨人・松谷竜二郎投手

【年商40億円の建築会社社長】

 

・北京五輪でまさかのエラー

元ロッテ・G,G佐藤外野手

【測量会社】

 

・元広島のエース・紀藤真琴投手

【通信機器販売会社取締役】

 

・80年代後半、日ハムを支えたエース

津野浩選手

【プロゴルファー】

 

・ロッテで4番も務めた名キャッチャー

橋本将選

【人気シューズブランドのフランチャイズ店経営】

 

選手達の、意外な希望引退後先

実績を残した選手、人気選手は、指導者や解説者の道もありますが、それは一握り。そのほとんどが、華やかな世界から距離を置き、一般人として暮らしています。

 

その進路を反映しているかのように日本プロ野球機構が若手選手に「引退後の希望進路」のアンケートを採ったところ、1位は『高校野球指導者』、2位『大学社会人の指導者』、そして3位は、去年7位から急上昇した『一般企業の会社員』という結果に。

 

一方、プロ野球関係の仕事の順位はそれ以下。多くは「野球は好きだが、プロの世界はこりごり…」ということでしょうか?

 

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プロ野球ai(アイ)
 日刊スポーツ出版社

 

< 取材・文 / 南城与右衛門  >

 

 

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南城与右衛門

"情報番組や誰も知らない深夜番組、ラジオなどを構成したり、ソーシャルゲームのシナリオを書いたりする、いわゆる駄放送作家。友達はPC、恋人は二次元、恩師はあらゆる漫画、といった充実した人生継続中"

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