名物や歌、そのほか歴史的に重要な事柄が誕生した場所には『発祥の碑』がたち観光スポットになっています。そういった場所は東京にも多く存在し、紹介していくのがこの『東京はじまりの碑』。第2回は、東京五輪で3大会ぶりに競技復活した“野球”にまつわるはじまりの碑を訪れたいと思います。
そもそも野球の起源は諸説ありますが、そのひとつは1845年アメリカで体系化された競技。それはスリーアウトで攻守交替というのは現在と同じですが、21点先取したチームが勝利。投球は下手投げで打者が打ちやすいボールを投げるのが決まりと今日の野球とは違いがありました。
その競技のルールが年々、洗練され、現在の野球になるのですが、日本に持ち込まれたのは1872年(明治5年)のこと、アメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏が東京大学の前身校の生徒たちに教えました。その地がこちら。
千代田区神田錦町にある『学士会館』。
東京メトロ半蔵門線などの神保町駅からすぐの場所。
駅から学士会館へ向かう際、探すでもなく目に飛び込んでくるのが『日本野球発祥の碑』。
この地でウィルソン氏が授業のかたわら生徒たちに野球を教え、やがて日本中に広がりました。
ちなみに野球を日本に伝えた功労者ホーレス・ウィルソン氏は2003年、その功績で野球殿堂入りしています。
話しは戻ってその後、1876年、アメリカで最初のメジャーリーグとされるナショナルリーグが結成。一方、日本では1903年(明治36年)、早稲田大学が慶應義塾大学に戦いを挑む形で初めて早慶戦が行われ1925年(大正14年)、東京六大学野球連盟が発足しました。
また夏の甲子園大会(当時は全国中等学校優勝野球大会)が初めて行われたのは1915年(大正4年)。
そして1936年(昭和11年)、ついに日本プロ野球のルーツである日本職業野球連盟が創立。東京巨人軍(現:読売ジャイアンツ)、大坂タイガース(現:阪神タイガース)、大東京軍(後の松竹ロビンス)など7球団で結成されました。
この様にプロ野球の歴史とともに存在していた巨人と阪神。この2チームの直接対戦は長く『伝統の一戦』と呼ばれていますが端緒となったのが同年行われた当該チームによるプロ野球初の日本一決定戦。
その戦いが行われたのが東京・江東区にある洲崎球場。ここが『伝統の一戦誕生の地』とされています。
場所は地下鉄東陽町駅から江東運転免許試験場に向かう様に歩くこと10分弱で到着するのが洲崎球場跡地。
残念ながら球場は取り壊されその碑が建っています。
1936年、初の日本一決定戦は巨人に軍配が上がりましたが屈指の好ゲームとして語り草になり、それが後にも伝統の一戦と呼ばれる所以になりました。
洲崎球場はもともと大東京軍の本拠地としてわずか3か月の突貫工事で建設されました。ゆえに粗が目立ち、満潮時には潮が入り込みグラウンドが使用できなくなることもあったそうです。
また、1937年(昭和12年)に後楽園球場ができると洲崎球場での試合が激減。翌年わずか3試合が行われただけで閉鎖に。
この洲崎球場、プロ野球草創期に建造、わずか3年で使用されなくなったため記録が少なく、存在した場所や解体時期でさえあいまいで伝説の球場とされていました。
このプロ野球史上最重要な球場の所在地を特定すべく野球雑誌が企画を組み調査。跡地の碑が建つ辺りに洲崎球場があったと判明しました。
野球が伝わってから約150年、それまでWBCでは優勝2回、五輪で金メダル1回、その他の国際大会でも幾度となく優勝を飾った強豪国になった日本。東京五輪ではどんな熱い試合を見せてくれるのか期待です。