津川雅彦、出川哲朗、片岡鶴太郎、西田敏行、和田アキ子、達川光男、掛布雅之、板東英二……。ありとあらゆるモノマネ芸を連発する松村邦洋が、スリムに大変身。RIZAPで8か月、110kgあった体重を30kg減らし80kgの領域へ。「久しぶりにスーツを着た」という松村は、もはや「こんなの松村邦洋じゃない」レベルだ。
ライザップで8か月間、みっちり鍛えた松村のビフォーアフターのスペックは、こうだ。
内臓脂肪面積 99.31cm3 → 33.93cm3 66%減
全体脂肪面積 596.7cm3 → 233.5cm3 61%減
糖代謝 6.4(D判定)→ 5.4(A判定)
尿酸値 7.1(D判定)→ 6.1(A判定)
劇的な変化に「内臓脂肪が減少し、脳・心臓・血管系の疾患、動脈硬化などのリスクが軽減。糖尿病や痛風、心筋梗塞、脳卒中などのリスクも軽減」とライザップ。
なによりも変わったのは、腹まわりと首。ベルトの上に垂れかかる贅肉が消え、耳やあごと肩が直結していたところに首が出現した。そして「痩せたらモノマネもうまくなった感じ」というように、得意のモノマネラインナップを「すべて出し切った」というぐらい、連発。キレッキレのオヤジギャグもはさみながら松村邦洋節が炸裂した。
「お腹がこんなに落ちるんかと。いままでひとりで靴下が履けませんでしたからね。あと首が出てきました。いままで首にヒゲがあるんだと思っていましたけど、やっと本来の首が見えてきましたね。それから階段が歩けるようになりました。いま忍者のように歩けますね」
出川哲朗も彦麻呂も即ライザップへ
胆石で入院中の出川哲朗を、キャイ~ンのウド鈴木と見舞いに行ったさいは、「ウドくんといっしょに行ったら、出川さん最初、ぼくのこと気づかなくて。『えっ、松ちゃんなの? こんなに痩せたの?まっちゃん。リアルに松ちゃんじゃん』ってね」とウドと出川のモノマネで現場を再現。
「出川さんも彦摩呂さんももう、即ライザップですよね。いますぐライザップ。彦摩呂さんなんて、幕末塾時代の面影がひとつもない。見るも無残ですよ」
出川と彦麻呂をそう突っぱねた松村は、「年齢は落とせないけど体重は落とせる」としみじみ。さらに、2008年に他界したウガンダ・トラとのデブタレント同士の思い出もこう語った。
「朝、昼、夜夜夜と、5回食べてた時期もあった。芸人としてしゃべりは噛むけど、食は噛まなかった。ウガンダさんに『カレーは飲み物じゃない、カレーは食えよ』っていうのが遺言だったような気がします」
糖尿マラソンや糖尿ラブストーリーなら出る
現在50歳の松村には、8年前、生死をさまよった過去がある。2009年、東京マラソンに参戦し、途中で急性心筋梗塞に倒れ、一時は心肺停止という危機に陥った。そこで気づいたのが「健康じゃなきゃなにもできない。芸人として“打席”に立つってことは、健康であること。健康でないとすべてがはじまらない」だった。松村は「また東京マラソンに挑戦するか?」という記者からの質問に、こう笑いを誘った。
「あの東京マラソンのとき、石原都知事を追い込んだのは僕だと思いますね。(また東京マラソンに挑戦して)小池百合子さんにまで迷惑はかけたくないですからね。“糖尿マラソン”ならやりたいですよ。東京から中野までとかね」
さらに、俳優としてドラマに出てみてはという質問には「“糖尿ラブストーリー”に出たいですね。「腰が完治~」みたいな。モノマネは、デビュー当時の気持ちに立ち返って、ネタ帳を書いて、いちからモノマネをやってみたいですね」
最後は、松村邦洋が40分の会見の間に発した、書き切れないほどのギャグ炸裂コメントを記して、レポートを終わろう。
まだまだある!松村邦洋会見ギャグ炸裂コメント
「これからは、野球をやりたいですね。いままで太ってたから、どこも守れなくて、ライトを守ったりして、戦力という感じがなかった。これからは全打席に立って、キャッチャーやってランナーを刺したいですね。バッターでも広角で打ってみたい、盗塁もやってみたい。バッティングセンター行ったら、けっこう飛距離も伸びたって実感してますよ」
「芸能生活も30周年で80kgになれてありがたいですよ。昭和42年生まれが元気でいてほしいですよね。ショーンKさんとかね」
「和田アキ子さんには『いま何食べていいんや、オレわからんから。肉とか野菜とかがえんやろう?』って心配していただいてね。うれしかったですよ」
「ライザップは、トレーナーと個室でじっくり教えて、細かいことにもいろいろ対応してもらえるので楽でした。メールのやり取りもこまめでしてね。打てば響くとはこのことですよね。進研ゼミの赤ペン先生並みでしたよ」
「かっぱえびせん食ってる夢を見て、目が覚めたら寝ながらほんとうにえびせん食ってたっていうのもありましたよ」
「むかし、MRI(筒状の磁気共鳴画像)のマシンに太り過ぎてて通らなくて、戻されたことがあるんですよ。フェアーとファールのギリギリのラインにいたんですね」
「「やすらぎの郷」(倉本聰脚本テレビドラマ)に入りたいと思いますね。(晩年は)芸人同士のシェアハウスもいいんじゃないかなって思ってますよ」
(GazinAirlines)