コロナ禍による宿泊客の減少を、「ワーケーション」で補おうという動きが高まっています。通信大手のビッグローブ株式会社(本社:東京都品川区、代表取締役社長:有泉健、以下BIGLOBE)は、2021年3月17日(水)に「ONESEN WORK」というサイトをグランドオープン。温泉地と企業をワーケーションで結び、平日に長期滞在するという新しい宿泊マーケットの市場を創出し、ワーケーションを通して全国の温泉地に貢献していくことを目的としています。しかしそのためには、宿側には通信設備などの環境整備、企業側には費用対効果の実証といった課題があります。同社はそれをどう乗り越えようとしているのでしょうか。オープン当日に東京国際フォーラムで行われた記者会見、ならびに自治体・企業・専門家によるトークセッションを取材しました。
一般の旅行客ではなく企業に“三方”の一つを担ってもらう
先陣を切って登壇したBIGLOBEの有泉健社長は、開口一番こう言いました。
「“ワーケーションで三方よし”を目指す」
三方とは、「企業」「社員」「温泉」の3者を指します。ワーケーションを通じて、この3者それぞれがメリットを享受できる仕組みを作ろうというのです。
その背景には、同社が2009年から12年間続けてきた「温泉大賞」が置かれた環境の変化があります。温泉ファンの投票で日本全国の人気温泉のランキングを決める同大賞は、いわば旅行客・温泉地・温泉宿にとっての“三方よし”でした。しかしコロナ禍により旅行客が激減。既存の枠組みが成り立たなくなってしまったのです。
そこで同社が考えたのが、一般の旅行客ではなく企業に“三方”の一つを担ってもらうということ。その理由の一つとして、同社社員に対してテレワークに関する意識調査を行ったところ、コミュニケーション不足や作業環境の不備、自宅での長時間労働など、数多くの不満の声が挙がり、それを解消するには「温泉でのワーケーションが有効なのではないか」と考えたからです。いわば働き方のオプションの提供です。
温泉地にとっても稼働率の低い平日の連泊需要、つまり新たな市場の創出につながります。
つまり企業にとってはハイブリッドな働き方を提供することによる健康経営、社員はストレス発散や非日常での発想転換、温泉地にとっては平日の連泊需要につながる、まさに“三方よし”のニューノーマルです。
しかし、発想しただけでは仮説に過ぎません。そこで同社は、日本能率協会コンサルティング、日本健康開発財団とともに、温泉地におけるワーケーションの実証実験を行いました。
実験は、湯河原、わたり、別府の3温泉地で行われ、BIGLOBEの他、リモートワークを実施している損害保険ジャパン、三井住友ファイナンス&リースが参加しました。
その結果、医科学的視点では自律神経バランスの改善、アンケート分析では社員のロイヤリティ(帰属意識)のアップやリフレッシュ感の長期継続といった効果が得られたのです。
確証を得た同社は、この「温泉ワーケーション」の浸透のために、2つの施策を打つことにしました。
1つ目は企業向け宿泊費無料プログラム「TRY ONSEN WORKATION プログラム」の実施です。これは、ワーケーションに関する様々なデータを集めるために、ワーケーションの宿泊費とヘルスチェック費用を同社が負担するというものです。
2つ目は温泉地の通信環境の整備です。同社がワーケーション視点で、仕事環境やWi-Fi通信状況のチェックを行い、リモートワークに適した環境づくりのアドバイスを実施するというものです。
この「TRY ONSEN WORKATION プログラム」の募集窓口、各企業のニーズやリモートワーク環境に合った温泉宿の比較・検索機能を担うのが、3月17日にグランドオープンしたサイト「ONSEN WORK」というわけです。
温泉地もこの取組に期待を寄せています。
有泉社長に続いて壇上に立った伊東市の小野達也市長は、コロナ禍で約4割落ち込んだ宿泊者数を取り戻す切り札として、このワーケーションを捉えています。
「首都圏から近い伊東温泉はまさにうってつけ」
すでに今年度からワーケーションの受け入れを実施し、BIGLOBEの実証実験にも協力しています。
何より同市のシンボルともいえる昭和3年建造の市指定有形文化財「東海館」の2部屋をワーケーション用の部屋として貸し出したことに、本気度が伺えます。
ダイバーシティの一環として働き方の選択肢が増えるのは良いこと
続いて、BIGLOBEの「ONESEN WORK」担当者より事業詳細の説明があった後、トークセッションが行われました。
参加者は、BIGLOBE・有泉社長、伊東市・小野市長、日本航空人財本部人財戦略部・東原祥匡氏、日本能率協会コンサルティング・江渡康裕氏、そしてオンラインで日本健康開発・後藤康彰氏 、日本交通公社・守屋邦彦氏、杜の湯リゾート(別府)・秋吉支配人の計7人です。
まずは、日本交通公社・守屋氏によるワーケーション市場の分析が行われました。守屋氏によれば、年間で340万人回のワーケーション利用が見込まれ、金額にすると約2,600億円の経済効果があります。
まさに大きな市場です。伊東市をはじめ全国の温泉地の旅館・ホテルも、受け入れ窓口やWi-Fi、ワークスペースなどの拡充に励んでいます。その一方で、「連泊時の食事対応に最も懸念を抱いている」というアンケート結果が目を引きました。
これについて宿代表の杜の湯リゾート・秋吉支配人は、「これまでは非日常の食事を提供してきたが、ワーケーションとなると毎日会席料理をお腹いっぱい召し上がって頂くわけにはいかない。日常としての食事をどう提供するか。すでにご利用頂いている企業様の声を取り入れながら、模索している最中」と、試行錯誤の現状を吐露しました。
企業側としても具体的な費用対効果が目に見えなければ、ワーケーションを福利厚生として取り入れることはできないでしょう。本トークセッションにおいても様々なワーケーションの“エビデンス”が提示されました。
アンケートによれば、前記したモチベーションアップやロイヤリティ向上のほか、「決まった食事時間により作業効率が上がった」「帰っても2〜3週間スッキリとした気持ちが継続した」という結果が得られました。
医学的には、自律神経のバランスが整う、温泉入浴により血管が若返る、肩こりが解消するという効果が立証されました。心身ともにストレスの多いリモートワークにおいては、大きなメリットでしょう。
実験に参加した損害保険ジャパン、三井住友ファイナンス&リースの各社員のVTRによるコメントは、体験者だけに説得力がありました。「客としてサービスを受けれたのが企画発想のきっかけになった」「家族と一緒に入れてよかった」「長期間滞在できたので観光も飲食も存分に楽しめた」というポジティブな意見があった一方、「1人で行ったのでは普通のリモートワークと変わらない」「100社くらいの実例がないと信憑性がない」といったシビアな意見もありました。
こうした意見に対し、2017年からワーケーションを推進し、すでに2割の社員がワーケーションを行っている日本航空の東原氏は、「ダイバーシティの一環として働き方の選択肢が増えるのは良いこと。今いる人材の維持につながるほか、自分で時間を配分して働き方をマネージメントすることを学ぶ良い機会になるのでは」と、先駆者としての見解を述べました。
いずれにしても、この取組は始まったばかりです。BIGLOBEの有泉社長が再三言うように、企業の人事や福利厚生に仕組みとして取り入れられるためには、今回様々挙がったワーケーションの効果のさらに安定的かつ持続的な立証が必要不可欠でしょう。募集している実証実験の参加企業を最終的に20社100名と想定していますが、それで十分かどうかは分かりません。
しかし、“最初の一歩”を踏み出したことの意義は大きいでしょう。それは「ビジネスというより、SDGs的チャレンジだ」と断言した有泉社長が一番良く分かっているはずです。
つまり、「温泉でワーケーション」が我々日本人の働き方を変える日は、そう遠くないかもしれません。
取材・文・写真 にいがた けん