台湾で蔡英文氏が初の女性総統になりました。各ニュースでは『いわゆる一つの中国問題』において、蔡氏が独立路線なのか現状維持なのかと、注目があつまっています。
そのニュースを見ていると、まだ20代前半の作家見習いが言いました。
「台湾って周辺国の韓国や中国にくらべて、日本に好意的な印象がある。でも、台湾って日本の植民地だったこともあるのに…どうして?この辺の歴史って複雑でよく分んないです」
確かに…熊本・大分で発生した大震災に対し、いち早く声を上げ7000万円以上の寄付を発表した台湾政府。人気キャラくまもんのグッズなどを持って被災者を励ます人々。どうして台湾の人々はこんなに日本にやさしいのでしょう?
まず“持ちつ持たれつの恩義関係”があります。
1999年、台湾大地震で日本はすぐさま救援隊を派遣し大変感謝されました。2011年、日本で東日本大震災が発生すると、お返しとばかりに多くの台湾人から義援金が集まり、金額は約280億円にもなったとか。
その後も、台湾で災害があれば日本が、日本で災害があれば台湾が、という形で助けあっているんです。
17世紀 もともと台湾はグチャグチャだった
ここからは、台湾と日本の歴史の、ほんのさわりだけ紐解いていこうと思います。まず、台湾の場所はここ。
むか~し。先住民がいた島に、周辺国の中国から移民や、倭寇という海賊や貿易商人、日本からも人が流れて住み着いていました。
17世紀になるとオランダの植民地にされ、人種がごちゃごちゃして対立します。
国のリーダー的な存在がいなかったせいか、ちゃんとした政府など確立せず、文化もさほど根付かず、国そのものが育たずといった具合でかなり荒れた島でした。
1662年、清朝(当時の中国)に反する鄭成功(ていせいこう※中国人と日本人のハーフ)が台湾に移ってオランダを撤退させ統治し、初めてちゃんとした政権が誕生します。
ところが数年後には清朝が進出し台湾を支配。福建省や広東省からたくさん移民が流れてきました。その子孫が現在の台湾人の多数を占めるとされています。
清朝が腰を据えたものの、当時の台湾は貧しくて生活苦の民が多く、しかもマラリアやデング熱といった熱帯病がよく発生するわ、台風や豪雨による水害が頻繁に起こるわ、更に先住民と移民のいがみ合いが激しいわで、統治できず放置状態。小さな島なのに統一語もなくグチャグチャ感は根本的に変わりませんでした。
台湾は元々人種が入り混じりまとまりのない国だったんですね。
19世紀 日本が台湾を近代的に
1895年(明治28年)、日清戦争で日本が勝利し台湾は戦利品として日本の植民地となります。この植民地時代は50年続きます。
“植民地”と聞くと、勝った国が負けた国民を奴隷にして馬車馬のように働かせる、といったイメージがあるかもしれません。けれど日本は台湾のグチャグチャ感を見て反対のことを考えました。
“台湾は日本になるのだから日本国内として扱い、全体を整備しよう”
そこで、まず、子どもの教育から始めます。
50年間で944の公立学校を作り、学んだ台湾人の数は87万人以上。1904年の進学率は0.4%だったのが、1944年には71%にまで上がりました。
他にも、道路、港、鉄道などの交通網の整備、ダムの建設と水力発電、水道、下水道、農林水産業の技術、銀行や市場といった商業施設、警察、病院、神社、公園、温泉などの娯楽施設、旅館などの宿泊施設、~etc
- 1919年に建てられたレンガ造りの台湾総督府の建物。国宝級古跡に指定され、現在は台湾総統府として利用。
この様に、台湾になくて日本にあるあらゆるモノを次々に作ります。荒れて統率が取れていなかった台湾が一つになって劇的に生まれ変わり「文化」が一気に発展します。
ただし、日本が台湾を変えるのは決して簡単ではありませんでした。
当初は台湾住民の抵抗が強く、一部地域の紛争は約5年間続き1万人以上の台湾人が戦死、虐殺があった事実を付け加えておきます。
台湾・日本統治時代の古写真
20世紀 日本が去り暗黒時代到来
1945年(昭和20年)大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)で日本は敗戦。
台湾は中華民国(中国)の手へ渡ります。やってきたのは蒋介石(しょうかいせき)率いる国民軍党。
国民軍党は、台湾人への略奪、暴行、役人の賄賂要求。日本が建設したあらゆる施設は国民党のものになります。
ついに先住民が抗議運動を起こすと、軍党側は台湾人を虐殺(2.28事件)。蒋介石は戒厳令を発令し独裁政治で台湾を牛耳ったのです。
人々は日本統治時代を想い「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉を呟くようになり、また「アメリカは日本に原爆を落とした。台湾には蒋介石を落とした」と言って嘆いたといいます。民を苦しめた戒厳令は1987年まで長く続きました。
※この時代、中国は日本語を禁止するなど反日政策を取ったため、今でも“日本は悪”と思っている人も少なくないようです。台湾人は全てが親日家ではないのです。
李登輝の登場で、民主化へ
蒋経国(※蒋介石死後の総裁、実子)の死去により、副総裁の李登輝が台湾総裁に。日本統治下時代に台湾で生まれ育ち、日本、米留学経験もあった李登輝は台湾を瞬く間に民主化へチェンジします。
政治も変わり市民に自由が与えられます。1997年の学校教科書の「台湾史」には日本統治時代を評価する内容が見られるなど新しい教育が組まれます。
若い世代から日本に対する興味が増していき、日本で人気のアニメ、マンガ、音楽、ファッションなどのポップカルチャーが伝わって好感度がアップ。
また、日本統治時代を経験した台湾人はまだたくさん存命で、“今の台湾があるのは日本のおかげ”と当時の事を子孫に伝えている背景もあるとのこと。
今や、台湾人が旅行で行きたい国トップは日本がダントツなんだそうです。
日本と台湾の歴史が多くの親日家を育み、今大震災に見舞われた熊本・大分に心からのエールを贈ることに繋がっているということなのです。
最後に、なぜ台湾の人々に親日家が多いのか?ざっくりと説明するなら「昔、台湾を日本が近代的に整備した歴史があるから」。
そんな歴史背景があったにせよ、台湾の人達のやさしさに感謝の言葉を何度繰り返し言えばいいのか…本当に胸が熱くなります。
- 古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895-1945 単行本(ソフトカバー) 片倉 佳史 (著)
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