『御朱印』ブーム!本来の意味を知らないとあなたは神様仏様に嫌われる!?

2016/02/26
放送作家 石原ヒサトシ

あなたは御朱印をどういう心持ちで頂戴していますか?

雑誌やテレビ等で取り上げられ、近年ちょっとしたブームとなっている“御朱印めぐり”。

 

神社やお寺の神職さんや御坊さんにお願いして、参拝した神社仏閣の名前・日時や“御宝印”という判子などを『御朱印帳』に押して戴くというもの。

御朱印は寺社それぞれのオリジナルになるため、とてもシンプルだったり、大きな文字でダイナミックだったり、判子がカラフルだったり、本当に多種多彩です。

行く先々の御朱印を見るのが面白くて趣味にしている人が増えているようです。

御朱印
(伊勢神宮 内宮(左) 外宮(右) とてもシンプルです)

 

そこでよく聞かれる言葉が御朱印“集め”です。

集める……と聞くと、スタンプラリーとか切手収集のようなコレクション的感覚に聞こえませんか?御朱印が欲しいから神社お寺をただ巡って、どこがどんなところだったのかも覚えていない。

そんな単なる収集家だとすれば、それは神社やお寺の方にも、神様仏様に対しても大変失礼です。

ちょっと心改めましょう。

御朱印の本来の意味とは?

昔、御朱印は簡単に戴けるものではありませんでした。

神社やお寺へ今では観光で訪れるのは普通ですが、本来の主な目的は願掛けといえるでしょう。通常のようにお賽銭を入れて手を合わせるだけでなく、更に神様仏様に強く願いを叶えていただける術として、お経を書き写す『写』があります。

実は、元々は納経しなければ御朱印は頂戴できませんでした。

お経を書き写すということは経を唱える行に通じるとも受け取れます。納経すると神仏様に近付いたとし、その証として御朱印を書いて戴けたわけです。それがいつしか、少額の代金を納めれば書いて頂けるように簡略化されました。

今でも納経して御朱印を依頼することはできますし、納経したほうが感心されるとも聞きます。

この基本を知らないで、ただ、きれいだから、集めると楽しいから、などと流行りにノッて、レジャー気分で御朱印だけ”集める”という行為にだけ走るのは神仏の冒涜と言われてもしょうがないように思えます。

これは、東京浅草寺で御朱印を授かった際にいただいたもの

(御朱印を『もらう』=× 『授かる・戴く・頂戴する=◯』)

御朱印
最後の方を書き出しますと……
「このような本義から申しますと、お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。 少なくとも『般若心経』」一巻または『観音経』偈文(げもん)などを書写なさるか、ご宝前で読誦されるなどして、その後に「ご朱印」をお受けになるようにして頂きたいものです。」

 

参拝もしないというマナーの悪い人はもってのほか。御朱印の本来あるべき形を知らしめるべく苦言を呈しておられます。

いろいろな寺社を訪れることは悪いことではないでしょう。

でも最低限、神社お寺の中を廻り観て、歴史や特徴などを知って感じて楽しんで、最後に御朱印を頂戴することができたなら神様仏様も「来てくれてありがとう」と喜んであなたに近付いて来てくれるかもしれません。

御朱印

筆者の御朱印帳。100ヶ所ほどで御朱印を授かりました。

それぞれどんな特徴があったのかだいたい記憶しています。

< 取材・文 / 石原ヒサトシ  >

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この記事を書いた人

放送作家 石原ヒサトシ

放送作家 「クイズ雑学王」、「ボキャブラ天国」等 バラエティを中心にイロイロやってきました。なんか面白いことないかなぁ~と思いながら日々過ごしています。野球、阪神、競馬、ももクロ、チヌ釣り、家電、クイズ・雑学、料理、酒、神社・仏閣、オカルトなことがスキです。

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