建て替えのため2015年1月から一時休館していた「東京會舘」が、来年1月8日(火)に復活します。
東京會舘の歴史
東京會舘が誕生したのは大正11年(1922年)。人々の着るものが和装から洋装となり西洋文化が広まった、いわゆる大正デモクラシーの時代です。当時、「社交場」といえば一般には手の届かない世界。その中で東京會舘は“世界に誇れる、人々が集う社交場”をコンセプトとし、皇居の目の前に開場しました。
この初代本舘は、数々の歴史を体験しています。開場翌年には関東大震災で被災。丸の内一帯は震火に見舞われました。同舘も倒壊は免れましたが、外壁・内部は壊滅的状態に。復旧し、営業が再開したのは4年後でした。
太平洋戦争が勃発した1941年には「大東亜会館」に改称。1945年にはGHQに接収され「アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー」として営業することになります。
東京五輪が開催された1964年は、「来日する人へ本物のフレンチを広めたい」というフランス政府の考えから、3ヶ月間限定のフレンチレストランがオープン。この際に腕を振るった本場シェフのレシピは後に、東京會舘の料理に大きな影響を与えることに。
1971年。“クラシックの中のモダン”を掲げ、二代目本舘が開場します。えんじ色のカーペットに特徴的な形をしたシャンデリアなど、色彩演出のこだわりが随所に見られました。
多くの偉人、著名人が集う
国内外問わず、東京會舘にはこれまで多くの著名人が足を運びました。1923年には音楽会の巨匠として知られるヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー氏が非公式の小演奏会を開演。渋沢栄一氏や高橋是清氏の名も芳名帳に記されています。
伝統芸能とのつながりも深く、八代目松本幸四郎氏の結婚式や九代目松本幸四郎氏(現・松本白鸚氏)の襲名披露にも利用されました。
また、芥川賞・直木賞受賞式の場である東京會舘。三島由紀夫氏は、1934年に同舘で営業を開始した日本初の鮮魚介料理店「プルニエ」の愛好家として有名です。
近年では2012年に「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞した辻村深月氏が、直木賞を受賞する約4年前に同舘で結婚式を挙げています。辻村氏は直木賞受賞により、再び東京會舘を訪れました。
新しくて伝統的
さて、約100年という長い歴史を紡いできた同舘。来年開場する新生東京會舘のコンセプトは「NEWCLASSICS.」です。“新しくて伝統的”というこれまでにないコンセプトを掲げ、時を超えて愛される場所を目指します。
自慢のレストランは初代・二代目本館から続く味を継承した6店舗に、和とフレンチが融合した「鉄板焼會」とカジュアルなメニューを展開する「BLUE TERRACE by ROSSINI」という新しい2 店舗を加えた計8 店舗がオープンします。
バンケットは、丸の内地区最大級となる1,800名のパーティが可能に。国際規模のMICEにも対応した最新の音響機器や高性能プロジェクターも導入。さらに、ウェディングは株式会社テイクアンドギヴ・ニーズと提携し、伝統を重んじながら新たなスタイルを提案していきます。
レストラン・バンケット・ウエディングを有する複合施設として、ますます「特別な場所」となりそうです。