6月、コルク半と呼ばれるヘルメットを着用した男性(20)に対し、17歳の少女と少年2人が「足立のルールではコルクをかぶるとタダではすまない」と言いがかりをつけてタバコの火を頬に押し付けるなどの暴行を加え、ヘルメットや原付バイクを脅し取った疑いで警視庁に逮捕された。
半キャップタイプのヘルメット、通称「コルク半」。
コレをかぶった人に言いがかりをつける行為は「コルク狩り」と呼ばれ、過去にも何度か事件が起きている。
2013年 大田区 「誰に許可を取ってコルクをかぶってんだ?」
2013年 昭島市 「昭島でコルクをかぶれるのは、オレ達だけだ」
2016年 豊島区 「お前ら、ここ誰の道だよ」
「ここ誰の道だよ」って、誰に道でもないやんけ、と言いたくなるが、足立区だけではなく東京の中心部より少し郊外の地域での、「珍走団」(あえてそう呼ぶ)の暗黙の掟みたいなものなのだろうか?ただ、ちょっと矛盾するのは、珍走団は基本ノーヘルじゃないの? ということ。なのにヘルメットをめぐる抗争ってどういうこと!?
コルク半は、フルフェイスなどと比べ軽くてかぶりやすい。若者から年配者まで愛用者はいっぱいいるはず。なのでおそらく、東京郊外で、ヤンキー風、オラオラ風の出で立ちで、更に粋がったペインティングを施したカスタマイズのコルクメットをかぶっていれば、その手の輩に目にとまりトラブルになるのだろうと推測する。
いやしかし、一番疑問なのは、「どうしてコルク半に理由なき独占権が生まれているのだろうか?」 ということだ。コルク半で検索して出てくる画像はヤンキー仕様のものが多い。なんでだ?
馬鹿げたサブカルチャーだが、なんか面白そうなので調べてみた。コルク半の使用をめぐり、なぜ「コルク狩り」と呼ばれる犯罪が行われるようになったのか?なかなか難しかったが経緯を知ることが出来たので、考察も交えて紐解いてみたい。
元祖ヘルメット
コルク半のルーツを辿ってみると、戦後にたどり着く。
戦前は、カーレースでもバイクでも運転手がヘルメットをかぶる概念が殆どなかった。そこでドライバーの頭を守るためにイギリスのメーカーが、お椀型のヘルメットを考案した。衝撃の吸収剤としてコルクが用いられていたが、実際はあまり効果的ではなかったとか。重量も今とは違ってかなり重かったとのこと。しかしこれが「コルク半」と呼ばれ人気となったのだ。
その後、1950年代終わり頃に、スチロールやウレタンの発泡材を内蔵した、耳の部分まで帽体を伸ばしたデザインのタイプが登場。ちなみに、今では素材にコルクはほとんど使用されていない。
珍走団のルーツ
元々、日本の珍走団のスタイルは、一説には1960年代に活躍した『プレスライダー』から来ているといわれる。プレスライダーとは今で言うバイク便の元祖だ。
新聞社やテレビ局などは、原稿、写真フィルム、ビデオテープなどを速く正確に輸送することが求められる。そこで、輸送の際はバイク一台ではなく数台が補助役となって大切な品物を運んでいた。その際、フロントに旗竿、極端に絞った鬼ハンドル、ウインドスクリーンを前に倒すといった派手なスタイルでパフォーマンスしながら走っていたのだ。これが若者の好奇心をくすぐり、ハデなバイクで一団となって走るのがカッコイイ、となった。つまりカミナリ族や暴走集団のルーツともいわれるのだ。
かぶりゃいいんだろ?
日本でバイクに乗る際のヘルメットが義務化されたのは1975年から(原付きは’86年から)。その時に流行ったのが『ツバ付きのコルク半』だった。当時は、「ヘルメットめんどくせぇ」「かぶりゃいんだろ」的な者が多く、そこで最も楽なコルク半が人気になった。
さきほど、「珍走団はノーヘルじゃないの?」と言ったが、昔バイクで暴走行為を行う輩には、このコルク半をかぶるがカッコイイというステータスを持つ者もいた。つまり、ノーヘルは即捕まるけれど、“一応メットかぶってんぞ、簡単に逮捕されねーよ”という、嘲た態度で警察を挑発していた者もいたと考えられるわけだ。
コルク半は反逆的なイメージのヘルメットとして定着したため、また特にそんな集団が多かった関東でステータスとして脈々と受け継がれ、それが今もコルク半をシンボル化しているということではないだろうか。
おそらく、今「コルク狩り」をしている人間は、こんな経緯があったことはまず知らないだろう。
現在のバイカーは、安全性を取るならフルフェイスや後頭部までガッチリガードされたヘルメットをかぶるはず。しかし、あえて、最も簡易的で安全性の低いクラシックなコルク半をかぶるとなれば、輩にしてみると「あいつイキってる」とイイ気はしないのかもしれない。
ただ、コルク半をかぶるのに誰の許可などいらないのは当たり前だ。当たり前だが、絡まれる恐れがあるから厄介なわけだ。
東京の特定地域での出来事。なんだかため息が出る。