グラブのような?ファーストミットのような、コレを知っていますか?
「ファーストグローブ」という幼児向けの野球グローブで、“はじめてのキャッチボールに”というコピーでアシックスジャパンから7月に発売されました。カラーは2タイプ、専用のやわらかいボール付きで発売されています。(価格4,536円・税込)
ケガをしにくいよう軽量で手のひらにクッション材が入っており、軟らかくてボールが掴みやすくなっています。全国的に野球人口が減少中の昨今、歯止めがかかるきっかけになればいいと思います。
このファーストグローブのナイスアイディアは、右投げでも左投げでも使えるようにしたことです。中心にネット部分を作り、どちらの手ではめても球が挟めるような構造になっています。
「両利き用グラブ」にしたきっかけは、米メジャーリーグで活躍中のダルビッシュ有投手だったとか。ダルビッシュ投手は、ときどき体のバランスを修正するため利き腕ではない左投げでキャッチボールをすることがありますが、その際左手にはめていたグラブを右手にはめる事がありました。両利き用グラブならこんな不便はありません。体育の授業のソフトボールで左投げの用のグラブがない子がよくやってましたよね(笑)。
過去にいたのか!?スイッチピッチャー
ダルビッシュ有投手は左投げでも球速が120キロ出るほど、変化球も投げるとか。凄いです。
そこで気になったことが、「プロでスイッチピッチャー(左右投げ)はいたのか?」
かすかな記憶で、昔、南海ホークスにいたような…と思って調べてみました。
近田豊年(ちかだとよとし)投手 (1965年生)
1987年ドラフト外で南海ホークス入団、投手・左右投げ左打ち
元々は左投げでオーバースロー、右投げはアンダ―スロー。小さい頃左手にはめるグラブしかなかったから右で投げていた影響で左右投げになったそう。確か、冒頭で紹介したファーストグローブのような真ん中に網のある緑色の特注グローブをしていた記憶があります。
プロ成績は、1988年ロッテ戦に1試合だけリリーフ登板しただけで、この時は左投げでした。その後、阪神に移籍しましたが一軍で投げることなく1991年に引退しています。つまり、公式戦で右投げは一度も披露しないまま引退したので、日本のプロ野球でスイッチピッチャーはまだいないということになります。
では、長い歴史を誇るメジャーリーグはどうでしょう?
19世紀には4人いたそうです。近代野球を1900年以降としてみると2人いました。まあまあ最近なのでご存じの方も多いと思います。
グレッグ・ハリス(1955年生)
1995年9月28日、当時モントリオール・エクスポズのハリス投手はシンシナティ・レッズ戦で9回に登板。左右どちらの手にはめることのできる6本指使用のグラブを使用。右打者に対して右投げ、続く2人の左打者に左投げ、4人目で再び右にスイッチして打ち取り0点に抑えました。登録は右投手で現役14年目のこと。かねてから左で投げることを申し出ていたがOKされず、この年シーズン終盤ということもあって許されたそうです。この年限りで現役を引退しています。
とにかくこれが近代メジャー初のスイッチ投手になります。
それから20年後、2015年に本格的スイッチピッチャーが登場します。
パット・ベンディット(1985年生)
2015年6月6日オークランド・アスレチックスのベンディット投手がボストン・レッドソックス戦に中継ぎで登板。最初に左投げで一塁ゴロ、二人目で右投げにスイッチしゲッツーに抑えました。投げ方はどちらもサイドスロー。これが史上2人目のスイッチピッチャー誕生となりました。その後、主に中継ぎ、オーブナ―として登板し、スイッチ投球で活躍中です。
実はこの人、ルールを追加した人物として有名です。
2008年にヤンキース入団。マイナーで登板した際、スイッチ投手のバンディットとスイッチ打者の対決となり、第1球をバンディットが右で投げようとすると打者は左打席に、それを見て左で投げようとすると打者は右打席にと、これを5分繰り返したため、審判が試合を止め急遽打者に打席を決めさせて変えられないルールを課しました。結果は右対右の勝負で打者は三振でした。
これがきっかけとなり新ルールが誕生。両投げ投手対両打ち打者の場合は「先に投手がどちらで投げるか決めなければならない」と定められました。これを受けてか、日本でも2010年に同様のルールが追加されました。
ちなみに、マンガでは結構います。私はドカベンのワビスケが好きでしたね。