累計発行部数1600万部超、4月29日からは映画の続編(-下の句-)が公開(続編も決定)され、いま注目度の高い人気漫画『ちはやふる』。
同作をきっかけに『競技かるた』に関心を持つ人が増えているといいますが、作品のタイトルにもなっている和歌のほうの“ちはやふる”のことを深く知っているという方は少ないのでは。
そこで今回は『ちはやふる』のもう一人の作者であり、平安時代きっての色男【在原業平】について調べてみました。
在原業平は平安時代初期の貴族で、六歌仙・三十六歌仙の一人。情緒豊かな歌をつくるのがうまい歌人であり、恋多き美男子として、いまに語り継がれています。
『日本三大実録』には、「体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌」と言及した一文があり、「美男子であり好き勝手な行動をとる人物で、漢詩・漢文の教養がないけれど、和歌の才能はあった」ことがわかります。
また、在原業平をモデルにした『伊勢物語』では、幼なじみの男女による恋愛や身分違いの禁断の恋などが綴られており、スキャンダラスでドラマティカルな内容は、現在までに様々な漫画や小説などに訳され親しまれています。
当時の男女が、自分の恋い焦がれる思いを和歌で伝えていたことを考えると、美男子であり、歌才のある業平が多くの女性と経験をしてきたことは想像に難くありません。
では、そんな業平が“ちはやぶる”を捧げた女性-藤原高子(後 二条の后)とは、いったいどんな人だったのでしょうか。
『伊勢物語』では、業平と駆け落ちをするほど深い仲だったと綴られていますが、皇太子妃として入内する予定だったため、周囲は二人の仲を認めるわけにはいかず、結果、二人の関係は引き裂かれるように終わってしまいました。愛する男と別れることになってしまった高子はその後、清和天皇の妃となるのでした。
そして月日は流れ、高子が二条の后として過ごしていたとき、宮中の屏風に歌を添えるため、業平が呼ばれ、そのときに詠まれたのが例の歌でした。
『ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは』(神々の時代にも聞いたことがない。竜田川の一面が紅葉で真っ赤に映ってしまうなんて)
業平は彼女のことをずっと忘れられなかったといいます。二条の后が、屏風の歌詠みに、自ら業平を呼んだのかどうかはわかっていませんが、過去にそのような関係があったことを考えると、この歌が屏風に描かれた情景を詠んだだけのものと素直には思えません。
“私の燃える想いが、激しい水の流れを真っ赤に染め上げてしまうほど、今でもあなたを愛しています” (ちはやふる公式HPより)
という意味にも取ることができるのではないでしょうか。まさに業平の一途な思いが和歌に込められているといえるのです。
イケメンで、和歌の才能もあり、血筋は天皇家の直系という高貴な家柄の業平です。現代で言えば、まさにリア充の代表ともいえる存在でしたが、祖父の平城上皇が嵯峨天皇と対立したことで、天皇家の直系から外され、臣下として在原姓を名乗ることとなり、出世街道からも大きく外れてしまうなど…けっして順風満帆な人生とはいえないものでした。
和歌に託した本当の意味を知れば100倍面白い
歌に対する思いや背景を知れば、その当時の情景がまざまざと思い浮かび、和歌に対する見方も180度変わってくるはずです。「ちはやふる~」で始まるこの和歌も、読む者の想像力をかきたてるひとつといえるのです。
漫画『ちはやふる』の中で、主人公と同じかるた部の大江奏というキャラクターが次のようなセリフを言っています。
「和歌がおもしろいのはその情景を知ってから」
まさにこのひと言に、百人一首の魅力がつまっているのかもしれません。
(スクリーンショット:ちはやふる公式HPより)