新宿中央公園のなかにある「新宿十二社 熊野神社」は、室町時代の応永年間(1394~1428)に、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。
鈴木九郎は、代々、熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成した大金持ち。その金運パワーにあやかるべく参拝者が後をたちません。
さらに「新宿十二社 熊野神社」は“水神”のパワーが都内でも強い場所としても知らています。敷地内には弁財天が祀られており、その使いである白い大蛇を目撃すると宝くじに高額当選するなどの金運に恵まれるそうです。
実はこの話、あながち迷信でもなく以前この一帯には大きな池があったようです。そういえば、神社のすぐ近く西新宿4丁目には都心に珍しく、黒湯に浸かることのできる日帰り温泉施設がありました。2009年に施設の老朽化を理由に営業を終了していますが、なにやら“水”との縁が深い場所のようです。
そんな時、「池どころか、巨大な浄水場もありましたよ」と情報を下さったのは、都庁の近くに校舎を構える『工学院大学』、情報学部数理システム学科/経営情報システム研究室の三木良雄教授。
「この辺りは、玉川上水や神田上水が集結して、まさに江戸にとっての水の要と言っても良い場所だったんです。それに、つい最近まで西新宿4丁目付近には花街がありました。弁天様は芸事の神様ですからご縁を感じますね」
ビッグデータやICTを駆使し経営情報学がご専門の三木先生は、新宿区と工学院大学が連携し十二社商店街を中心に、新宿区内の商店街を活性化させるプロジェクト“CYBER十二社”を立ち上げ活動しています。
「よかったら、新宿十二社の在りし日の姿と痕跡を探すちょっとディープな散歩に出かけてみませんか? おススメのお散歩グルメもお教えしますよ」と声をかけていただき、早速、同行取材を行ないました。
淀橋浄水場とは?
某日『工学院大学』で待合わせ。三木先生の案内で新宿駅西口から地下通路を通り東京都庁舎前を経由して、まずは「新宿中央公園」へと向かいます。
「都庁とその周辺は、そっくりそのまま「淀橋浄水場」のあった位置と重なります。地図を見てみて下さい。都庁周辺の区画は「淀橋浄水場」のプールの区画と同じです。今、歩いている地下通路は浄水場のプールの“底”の部分にあたります」
なるほど! 地図を確認すると青く囲った部分が、ぴたりと浄水場の区画に重なります。( 数字は本日巡る主なスポット 1工学院大学 2新宿十二社 熊野神社 3蕎麦屋「福助」4味陶庵「志奈川」5旅館「一直」6「品川亭」7都庁ビュースポット )
「淀橋浄水場」は、1898年(明治31年)12月1日~1965年(昭和40年)3月31日まで、約67年間利用されていた東京都の浄水場です。明治時代、東京の水質汚染は深刻でコレラなど疫病が蔓延する理由の一つでしたが「淀橋浄水場」が整備され衛生状態が格段に向上します。
1960年(昭和35年)に東村山浄水場が通水すると「淀橋浄水場」はその役目を終え、その跡地には「京王プラザホテル」を皮切りに住友ビル、三井ビル、そして東京都庁舎など次々と超高層ビルの建築が進みました。現在は「新宿中央公園」の一角に淀橋給水所が残り、浄水場跡地であることが窺えますが、しかし、こんな都心のど真ん中に浄水場あったとは…今となっては驚くばかりです。
温泉と花街 「新宿十二社」
さて、我々は「新宿中央公園」を横切り「新宿十二社 熊野神社」でお参りを済ませてから「十二社通り」を渡り西新宿4丁目へと入ります。
「坂が多いでしょう?谷になっているのが分りますか? 先ほど渡った「十二社通り」は不自然な曲がり方をしていますが、あれは十二社池の名残です。つまり、今、僕達は池の底を歩いて「新宿十二社」(現、西新宿4丁目付近)へと向かっている訳です」
この辺りは、江戸時代の慶長11年に伊丹播磨の守によって、大小2つの池が造られたのをきっかけに料亭や茶屋が並ぶ景勝地として繁栄し、明治時代には「十二社天然温泉会館」「十二社天然大浴場」を中心に花街として発展。最盛期には料亭や茶屋が約100軒、芸妓が約300名いたそうです。
現在、新宿十二社という地名はありませんが「十二社商店親睦会」という商店街があり、その会長を務めているのが蕎麦屋「福助」を営む風間さんです。
“親睦会”とは聞きなれない名前ですが、西新宿4丁目町区域内の商工業者が集う「十二社商店親睦会」は、一般の商店街と異なり会員が町内に点在するそうで、そのため“親睦を信条とする”「商店親睦会」という名称だそうです。
「福助」は65年前に先代の風間さんが始められたお店。現在の女将は先代の娘さんで、歴史的にも貴重な子供頃の想い出を話してくださいました。
当時、池の畔にある「福助」は稽古を終えた「検番」帰りの芸妓さんや、コマ劇場の踊り子さん達が立ち寄る繁盛店。「福助」の裏手の十二社池には屋形船が浮かび、夕涼みをする客と芸妓さんなどがおりたいへん風情があったそうです。
女将は「昭和40年くらいから始まった新宿副都心計画で池や浄水場は消えてしまったけれど…子どもの頃はよく遊びました。浄水場は忍びこめる場所があってね、見つかると怒られちゃうんだけど(笑)」と、当時の新宿十二社の写真を広げ見せてくださいました。