球児も首をかしげる?!高校野球行進曲の”ナゾ”

2016/03/18
放送作家 石原ヒサトシ

3月20日(日)第88回センバツ高校野球が開幕します。その開会式でブラスバンドが選手入場の行進曲を演奏しますが、今年は、西野カナさんの『もしも運命の人がいるのなら』が流れる予定です。

 

さて、この行進曲、どういう基準で選抜されるのでしょうか?そこで、春の選抜の行進曲についていろいろ調べてみました。

 

行進曲。その選考基準は?

まずどういう基準で選んでいるのか?

高野連によると、

 

「明確な選考基準はなく、原則として前年に広く親しまれスポーツに相応しく明るい曲」

としています。

 

多くの人が耳にしたことのあるヒット曲で、明るくて行進しやすいテンポでブラスバンドが演奏できる曲は何が良いかな?と銘々出し合って決めているようです。(まあそんなものかも知れませんね。)

 

選抜行進曲の最初はどんな曲?

1924年(大正13年)に開催された第1回大会から入場行進曲はありました。どんな曲だったのでしょう?!

 

第1回大会入場行進曲は、『星条旗よ永遠なれ』と『双頭の鷲の旗の下に』のメドレーでした。どちらもアメリカ発の曲で昔から運動会でも定番の行進曲です。

 

『星条旗よ永遠なれ』

 

 

『双頭の鷲の旗の下に』

 

 

 

時代背景とリンク

その後、入場行進曲に時代背景がリンクする傾向が見えてきます。

 

1926年(第3回)「親しき戦友」

1929年(第6回)「観兵式行進曲」

1930年(第7回)「われら戦友」

1932年(第9回)「爆弾三勇士の歌」

 

というように1941年(第18回)の第二次世界大戦が始まるまで軍歌が多く使われます。

 

春の選抜に大会歌はないの?

ちなみに夏といえば『栄冠は君に輝く』が有名ですが、春の選抜に行進曲以外の大会歌はないのでしょうか?実はあるんです。

 

しかも3つ!

 

1931年(第8回)は大会歌『蒼空高き甲子園』が行進曲に。歌詞を調べてみたのですが、正式なものは見つかりませんでした。

 

第二次世界大戦の影響で“ヤング”とか“オール”といった敵性言語があったため一度限りの採用でお蔵入りになったそうです。

 

次に作られたのが、1934年~1937年(11回~14回)までの4度の行進曲、2代目大会歌

 

『陽は舞い踊る甲子園』

歌詞)
陽は舞い踊る甲子園 若人よ雄々しかれ
長棍痛打して
熱球カッと とぶところ
燃えよ血潮は 火の如く
ラ毎日 ラ大会 ララララ

 

 

殆ど知られていないと思いますが、長い間、閉会式で大会旗を降ろす際にも演奏されていました。やがてこれも古くなり、時代にそぐわないからか新しく作られます。それが1993年、3代目大会歌であり第65回大会行進曲『今ありて』です。

 

『今ありて』

作詞・阿久悠 作曲・谷村新司

 

 

ヒット曲を行進曲に採用したのはいつから?

戦後から徐々に大衆音楽寄りになり、『黄色いリボン』(1953年)、『クワイ河マーチ』(1958年)など、映画音楽から採用になるケースが増えてきました。中には『君が代行進曲』(1952年)なんて年もあります。

 

そして1962年(昭和37年)、ヒット歌謡から行進曲を選択しようということになり『上を向いて歩こう』坂本九が選ばれました。沢山の人に選抜大会に興味をもっと欲しいという話題性を重視したものと考えられます。

 

 

以下、一覧を見てみると…

1962年 「上を向いて歩こう」 坂本九 
1963年 「いつでも夢を」 橋幸夫、吉永小百合
1964年 「こんにちは赤ちゃん」 梓みちよ
1965年 「幸せなら手をたたこう」 坂本九
1966年 「ともだち」 坂本九
1967年 「世界の国からこんにちは」 三波春夫ほか
1968年 「世界は二人のために」 佐良直美
1969年 「三百六十五歩のマーチ」 水前寺清子
1970年 「世界の国からこんにちは」 三波春夫ほか
1971年 「希望」 岸洋子
1972年 「また逢う日まで」 尾崎紀世彦
1973年 「虹を渡って」 天地真理
1974年 「草原の輝き」 アグネス・チャン
1975年 「おかあさん」 森昌子
1976年 「センチメンタル」 岩崎宏美
1977年 「ビューティフルサンデー」 田中星児
1978年 「愛のメモリー」 松崎しげる
1979年 「季節の中で」 松山千春
1980年 「ヤングマン」 西城秀樹
1981年 「青い珊瑚礁」 松田聖子
1982年 「ルビーの指環」 寺尾聰
1983年 「聖母たちのララバイ」 岩崎宏美
1984年 「キャッツアイ」 杏里
1985年 「星屑のステージ」 チェッカーズ
1986年 「青春」 岩崎良美
1987年 「CHA-CHA-CHA」 石井明美
1988年 「夢冒険」 酒井法子
1989年 「パラダイス銀河」 光GENJI
1990年 「約束」 相川恵理
1991年 「おどるポンポコリン」 B・Bクイーンズ
1992年 「どんなときも。」 槙原敬之
1993年 「今ありて」 大会歌
1994年 「負けないで」 ZARD
1995年 「がんばりましょう」 SMAP
1996年 「TOMORROW」 岡本真夜
1997年 「これが私の生きる道」 PUFFY
1998年 「硝子の少年」 KinKi Kids
1999年 「長い間」 Kiroro
2000年 「First Love」 宇多田ヒカル
2001年 「TSUNAMI /ビートルズメドレー」 サザンオールスターズ/ビートルズ
2002年 「明日があるさ」 坂本九/ウルフルズ/Re:Japan
2003年 「大きな古時計」 平井堅
2004年 「世界に一つだけの花」 SMAP
2005年 「君こそスターだ」 サザンオールスターズ
2006年 「青春アミーゴ」 修二と彰
2007年 「宙船」 TOKIO
2008年 「蕾」 コブクロ
2009年 「キセキ」 GReeeeN
2010年 「My Best Of My LifeMy」 Superfly
2011年 「ありがとう」 いきものがかり
2012年 「Everyday、カチューシャ」 AKB48
2013年 「花は咲く」 NHK東日本大震災プロジェクト
2014年 「恋するフォーチュンクッキー」 AKB48
2015年 「Let It Go ~ありのままで~ アナと雪の女王」劇中歌
2016年 「もしも運命の人がいるのなら」 西野カナ

 

 

行進曲?

よくみると、大人の恋愛曲が多いので高校球児がその曲にノッて行進すると思うと妙な違和感がありあますね。

 

『ルビーの指環』は不倫的?な歌、また『硝子の少年』は少女がイケナイことしてる歌、『青春アミーゴ』はチーマーの抗争っぽいし『大きな古時計』は基本的に童謡です。

 

まあそういう細かいことを抜きにして、ヒット曲であることを優先したのでしょう。

 

ちなみに、選ばれた歌手で最多は坂本九さんの6回です。

 

行進曲と素晴らしい試合がリンクし、ずっと記憶に残るような大会になることを期待したいですね。

 

 

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この記事を書いた人

放送作家 石原ヒサトシ

放送作家 「クイズ雑学王」、「ボキャブラ天国」等 バラエティを中心にイロイロやってきました。なんか面白いことないかなぁ~と思いながら日々過ごしています。野球、阪神、競馬、ももクロ、チヌ釣り、家電、クイズ・雑学、料理、酒、神社・仏閣、オカルトなことがスキです。

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