プロレス人気が沸騰中の昨今、変わったプロレス関連本が出版された。タイトルは『1000のプロレスレコードを持つ男 清野茂樹のプロレス音楽館』。
表紙にある“1000の顔を持つ男”ミル・マスカラスに引っ掛けたタイトル、これが分かる昭和のプロレス好きには特に楽しめる一冊に違いない。
著者のフリーアナウンサー清野茂樹さんは、古舘伊知郎さんに憧れてプロレス実況を志したアナウンサー。青山学院大学を卒業し、関東放送局のアナウンサーを目指すもことごとく落っこちて、なんとか広島エフエム放送局へ就職。2006年にフリーアナとなって念願のプロレス実況に着地する。まさに、アントニオ猪木の如き雑草魂で這い上がったアナウンサーといえる。
私の印象としては、アナウンサーの中でプロレスに特化した知識を比べれば“喋るプロレス百科事典”と呼べ。おそらく日本一だ。
プロのプロレスおたく
そんな清野さんが、プロレスのウンチクを語りたいがために、“選手の入場曲”という意外な視点からしたためたのがこの本なのだろう。
あるサイトで本の紹介を見たら、
・自身のプロレステーマ曲との出会いから現在にいたるまでの自伝的内容
・各スター・レスラーたちが使う曲の解説
・プロレステーマ曲の歴史と進化論、愛好者たちとの熱すぎる対談
・自身のコレクションの中からのディスクガイド
とのこと。
実は私、手元に持ったまま、まだ読んでいないのだ。というのも、私もプロレス(特に昭和の)に関してはまあまあ詳しい方だが、清野さんのこの一冊に、僕の知っている、あのウンチク、このウンチクは書いてあるかな? と想いを巡らせている。
入場曲なんてなかった時代
まず、今では当たりまえに流れる選手の入場曲、そもそもそんなものは存在しなかった。
リングアナが「◯◯選手の入場です」というと、入場口から無音の中を選手がやってくるのが普通だった。観客の歓声に包まれる中、実況アナが選手の近況などを話して間を埋める。人気選手なら良いが、そうでもない選手はシラ~とした中を走ってリングインしたりした。
余談だが、両選手がリングに上がると、昔はリングアナが「試合に先立ちまして両選手へ花束の贈呈です」といって、リング上に立つ観客の中から捕まえてきたであろう女性から選手へ花束が渡されていた。あの花束の贈呈に何の意味があったのか未だに謎だ(※1980年代までやっていたと思う)。
タイガー・ジェットシンなどのヒール選手は試合開始前に大暴れしちゃうから花束贈呈どころではなくなり、女性は恐怖でリングから逃げ出し、スカートの女性はロープに足を引っ掛けてすっ転びパンツが見えたりしちゃう(笑)。
更に余談だが、ボボ・ブラジルという選手は、渡された花をむしゃむしゃ食っちゃうというのがお約束だった。子どもながらに「花の蜜が甘いからかな~」と思っていた。
話しを入場曲へ戻す。
今や、スター選手になれば自分のオリジナル曲を創るというのが普通だ。これは、一般に出回るヒット曲を使用すると著作権が発生し、試合を納めたDVDなどをリリースする際に使用料がかかるから。昔のプロレスDVDや、再放送のVTRなどを見ると、入場シーンがまるまるカットしてある事がある。カットしてない場合は許可済かオリジナルということだ。こういった大人の事情もプロレス興行には絡んでくるわけである。
挑戦!入場曲ウンチク10
さて、清野さんはどこまでマニアックな事を書いているのだろうか?初級的なネタなら、アントニオ猪木の入場曲“イノキ・ボンバイエ”の正式タイトルは「炎のファイター ~INOKI BON-BA YE~」。この曲は、モハメド・アリの「アリ・ボンバイエ」を譲り受けたというのはあまりにも有名。
「ボンバイエ」という言葉は、アリが起こしたキンシャサの奇跡の試合で観客が合唱していたコールに端を発する事。それがリンガル語で「やっちまえ・ぶっ殺せ」という意味。
更に、リリースしたレコードのB面は、あの曲に歌詞をつけた「いつも一緒に」(作詞:なかにし礼)というタイトルで、歌っているのは元妻の倍賞美津子。とか、そんなことは絶対に載っているはず(笑)。
そんなわけで、清野さんがおそらく書いてあるだろう、いや、もしかしたら書いてないかもしれない(!?)、プロレス入場曲トリビアを10挙げてみる! 清野さんに挑戦だ(笑)
・日本で初めての入場曲は国際プロレス、ビリー・グラハムの「ジーザス・クライスト・スーパースター」
・選手の入場曲のアイディアを提案したのは、マイティ井上選手
・ミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」(byジグソー)は、空を舞う爽快なイメージの曲だが、歌詞の内容は「失恋」
・最初のオリジナル曲はザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)の「スピニング・トゥホールド」(byクリエイション)
・ジャイアント馬場の入場曲、最初は日本テレビのスポーツテーマ曲だった
・ジャンボ鶴田の初期の入場曲は、「チャイニーズ・カンフー」(byバンザイ)
・新日本プロレスで、入場曲を生バンドで演奏していたことがあった
・ロッキー羽田の入場曲は映画「ロッキー」のテーマというベタな選曲だった
・‘82年のテレビ放送で、藤波辰爾入場の際「ドラゴンスープレックス」のレコード回転回数を間違え、すっごくスローで流れたことがある
マニアックすぎるネタもあるかもしれないけれどご勘弁を。全ては、この一冊を読めば解明できると思うので、これから1ページ目をめくることにする。